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25.07.2013, Thu

☆ Children ☆  6

    20130527_131706.jpg

  ☆ Children ☆ 最初の記事はこちらから
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あなたにとって「自由」とは、いったいなんでしょうか。

好きなことだけをして暮らしていけることでしょうか。

お金の心配をしなくてもいい生活のことでしょうか。



私に究極に自由であると思える瞬間がきたとして、

それはすべてから解放されたときなのだと思ってきました。

経済的、精神的、物理的、人の生活のうえで考えられるかぎりのすべてのこと、

そういうことの一切から解放され、生きていかれることが本当の「自由」だと思っていました。

なんとなくそれは人としてすべてを超越したような、ずば抜けたもののように思っていて

なによりもそれを成し遂げるためには

何にも屈っしない強さをもたなければならないとずっとずっと思ってきました。


今ではその「自由」に対するDefinitionはずいぶんと変わりました。

今現在私が「自由」ということを考えるとき、

それはやはり「解放」であることに変わりはないのですが、

今までのように自分がなにかから抜け出しそれから「解放される」というのではなくて

自分がなにかを手放しそれを「解放していく」のだ、ということ。

同じようも思えるけれど、違いがわかるでしょうか。


たとえば経済的なことからら解放を考えるとき

それはたくさんお金を稼いで金銭的に余裕をもち、ラットレースから抜け出し解放されるということではなくて

お金にとらわれる自分の観念自体を自分から手放し、解放する。

そういうことなのです。


なにかから「解放される」ことを望むとき、そこには「がむしゃら」や「ただひたすら」など、

たくさんの物質的な努力を要する場合が多いと思うのですが、

なにかを「解放する」とき、そこにあるのは肩の力のぬけたナチュラルさやシンプルさだと思います。

決して悟りの境地に至るとかいろんな鍛錬・試練を乗り越えた上でなされるような大げさなことじゃなくて

誰でもができること。

ものすごく単純な部分に根本ってあるのです。



20年ぐらい前に私が「母が私に期待する生き方をしていく。 そうすれば母も私も幸せになれる」といったとき、

「その考え方はちがう」といった友達がいましたが、

彼女からはもうひとつ、大切なことを教わっていました。


それは「他人を変えることはできない」ということ。


これは彼女が私に対して忠告してくれたことではなく、彼女がそのときに抱えていた問題を知り合いの牧師さんに相談していたときに、

その牧師さんが彼女に話してくれたことなんですが、

その話を聞いて以来これはずっとずっと私の心に残り、

なにかあるたびに思い出しています。


人に変ってほしいとどれだけ願っても働きかけても、

その人本人が変ろうとしない限りその願いは絶対に叶わない。

でも自分を変えることはできる。

なにかあるときに「あの人がこうしてくれれば問題は解決するのに」と思うならまず

自分がどう変ったら問題を解決できるのかを考えなさい。



やはり私のような人間には精神的な部分で完全に解放されるということなしに

真の自由はありえない、とずっと思ってきました。

私のもつ劣等感や怒りなど、もつだけでいやになるネガティブな感情の克服のために

その元をたどっていくと行き着くのは今でも心の中にある母の言葉や行動。

私の劣等感や怒りを引き出すそれらをなんとか消し去る方法を、長い間探してきたように思います。


長い間、なぜ母はこういう人だったのだろう?と疑問に思ってきました。

自分が子を生み母親となってからはもっとその疑問は大きくなりました。

母と時間を過ごすとき、私がネガティブな感情に支配されないようになるには

母がその言動を改め、変っていくことを、望んでいたのだと思います。

あなたの言動は間違っている。

子供に対するその考えは、間違っている。

過去のことはもういいとしよう。

これからはもうああいう言動は一切やめてもらいたい。

母にわかってもらうためにいろいろな方法を試みました。

何度も話そうとしたし、理詰めにもしたし、

若いころには話しているうちに気持ちが炸裂して、それこそ物を投げつけたりしたこともありました。

でも結果なにもわかってもらえないことに怒り、地団駄を踏むということを繰り返し、

母と距離を置き考えないようにすることだけが唯一の問題解決となった。

そんな感じでした。


でも今、こうして気持ちを吐き出していて思うのです。

私の中にいる、母の言動に傷つき泣いてその場に取り残されたたくさんの子供たちを解放することも必要だけど、

私の中の「母」という人を解放することこそ、私が一番しなくてはならないことではないか。


母という人をみとめ、彼女の自由な意思を尊重する。

彼女の考え方、ものの言い方、行動の仕方は彼女の人生の中で作り上げられてきたものであって、

それは私にはなんの関係もないこと。

母が「私の母」として生きるのではなく、母自身として自由に生きていく権利。

彼女の言動が「私の母」として私の人生に影響を及ぼしたことは確かだけれど

私は私自身の自由も尊重し、

母に対していいと思うことも悪いと思うこともしてきた。

もしそれが母がきにいらず、私を誤解することがあっても、それはそれでいいではないか。

確かに、母と子という関係の間の溝は、とても悲しい。

だからこそなんとかしたいと執着もしてしまう。

でも、それが私の母と私という人間二人の間にある、関係なのだから。

それは私のせいで作り上げられたのでもなく、

母のせいで作り上げられたものでもない。

誰のせいでももない、ただ単なるひとつの事実にすぎないのですから。


母親の愛情というものにしがみついてきた自分にさよならして

もうその気持ちから、母という人を解放してあげよう。

母を自由にしてあげて、楽にしてあげよう。

そうしたら

その痞えがとれて新しいものが堰を切ったように流れ始める。



自由とは

自分を愛し、同じように人を愛すること。


ただ、それだけのものすごく単純なこと。

特別なことじゃない、

誰の中にも必ずあるもの。


自らがその自由を大切にし生きることによって

おのずと周りの風景が自由に変っていくものなのです。





CATEGORY :
THEME : 家族 / GENRE : 結婚・家庭生活
DATE : 2013/07/25 (木) 12:59:02
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くんちゃん

Author:くんちゃん
2008年9月15年間住んだハワイからアデレードに引越してきました。 家族は夫Hunnyと娘きなこ(ハワイ在住)、ウサギのクロ(ハワイ在住)、そして犬のさくら、ゆずです。  















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